団地のお母さん 中村弘子さん

家族4人でね。東京の麻布からここへ越してきたのが昭和44年の8月15日。
受け入れの2期目だったから、隣近所も一斉にね。
長女はできたての取手幼稚園に通って、井野小は最初の入学生。

その頃は専業主婦で、PTAのお手伝いしたり。自治会もね、交通安全母の会とか。
信号がなかったので、月曜から土曜まで、当番で30分くらい立ってました。

PTAは仕方なしにね。友達に「やんなさい!」なんて誘われて。
交通安全のほうは、やめるにやめられなくて、いまでもみんなずっと一緒にやってます。

嫌いじゃないんでしょうね、やめないってことは。
団地のお祭りも、好きじゃないけど嫌いじゃないかなってくらいに、手伝ったりしてね。
最初は盆踊りだけだったの。少しずつ盛大になってきました。
途中ちょこちょこ休んではいますけど、なんとか。
もうそろそろ引退と思いつつ、何年前からそう言ってるんだろ。

井野団地のお母さん?いやいや、肝っ玉母さんじゃないんだから。
母じゃなくて、ばばです。

TAPさん(取手アートプロジェクト)が平成8年に団地で開催して、
誰でも見に来てくださいっていう感じだったし、
事務所でコーヒー飲めるっていうんで、友達と。
いろいろ見せてもらったりして。行事あるよってときだけ、
ちょこっと差し入れさせてもらったり。
お手伝いってほどできないから、差し入れくらいだけど。

最初は不思議だったよね。こんな大きなハイヒールをつくって展示してたりして。
芸術家ってなに考えてるんだろうって。びっくりしながら見てましたよ。

「いこいーの」(いこいーの+Tappino)が立ち上がるとき、
自治会に入ってたから最初からずっと顔を出してて。
集まるのは嫌いじゃないから、きっかけはなんでもね。

今はお茶しにきたりとか、開け閉めも手伝ってます。なんにもしてないんですけどね。
守るなんて大げさなことじゃないですけど。

芸術家の人がきていろいろやっているけど、いまは不思議とは思わないです。
私も変わっているからかな。みんな楽しみながらやってるから、ときどき差し入れくらいね。
今日もお漬物ありますよ、どうぞ。

(編集:中嶋希実)

このコラムは、取手アートプロジェクト広報誌「あしたの郊外」でもご覧いただけます。