取手に暮らすアーティスト 002

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取手には、たくさんのアーティストが暮らしていることをご存知でしょうか。

東京芸術大学がキャンパスを構えることもあり、多くのアーティストが取手に暮らし、
そして制作の拠点にしています。

なぜこの街で暮らし、制作を続けているのか。

彼らを訪ねて、話を聞いてみることにしました。

第2回目は地元が取手の富田直樹さん。東日本ガスのガスホルダーの向かい側にある、
スタジオ航大にお邪魔しました。

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〈話し手〉
富田 直樹(とみた なおき)
1983 年
茨城県生まれ 京都造形芸術大学美術工芸学科洋画コース(総合造形ゼミ)卒業
東京藝術大学大学院美術研究科修士課程油画専攻修了
[個展]
2016年 「郊外少年」MAHO KUBOTA GALLERY、東京
2015 年 「INSTANT」CC4441、東京
「Project N 60 富田直樹」 東京オペラシティアートギャラリー4F コリドール、東京
2012 年「いつか」(RADICAL SHOW 2012 年京都造形芸術大学エマージングアーティスト展
II 期 SOLO SHOW)渋谷ヒカリエ 8/CUBE 1,2,3、東京
[グループ展]
2015 年「嵯峨篤・柴田健治・富田直樹 展」SUNDAY Cafe、東京
2014 年「Some Like It Witty」Gallery EXIT、香港
「宮島達男:コラボレーションプロジェクト Counter Painting 2014」
(嵯峨篤×宮島達男, 柴田健治×宮島達男, 富田直樹×宮島達男)CAPSULE Gallery、東京

〈聞き手〉
取手アート不動産 スタッフ

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お笑いから美術へ

取手アート不動産(以下、TAF):地元が取手なんですよね。

富田さん:中学は取手東中に通っていました。10代の時はバイクチームに
入っていたりしたのでので、正直、周りにはたくさん迷惑もかけたと思います。

TAF:そうなんですか。今の穏やかな雰囲気からは想像できません。

富田さん:でも当時を振り返るとあんまり楽しくなかったですね。むしろ辛くて。
そんな時、家で見ていた深夜番組に励まされるようなところがあったんです。
ブラウン管の向こうがすごく楽しそうで。お笑いって面白いなって。
それで自分もお笑いを始めれば今の自分を変えることが
できるような気がして、当時品川にあった吉本の養成所に通い始めました。

人前に立ってしゃべるというより、ネタを考えたり書いたりすることの方が
楽しかったですね。工夫して話のリズムをつくることとか。
まだこんなことやってる人は他にいないだろうって考えながら。

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TAF:お笑いの仕事は順調だったんですか。

富田さん:お笑い自体は楽しかったんですが、
この先どうやっていこうかって迷いが出てきたころ、出席した成人式で中学の同級生が
美大に通っていると聞いたんです。それで、絵を描いて大学にいけるのか、って。
大学というものにも興味があったし、絵を描くのは小さいころから好きだったんです。
芸大も地元にあるし、美術だったら大学に行けるかなと、その春から予備校に通いはじめました。

大学に入ったら「芸大芸人」みたいな肩書でやれたらおもしろいかなって。
そのときのメインはあくまでもお笑いでした。しかし絵には自信あったんですが
東京芸大はそう簡単に受からなくて。2年目からはお笑いを一旦休業して、
本腰入れて受験勉強をはじめました。

2年目、3年目と浪人していくうちにお笑いをやってる期間よりいつの間にか
美術をやってるほうが長くなってしまって。軽い気持ちではじめたんだけど、
浪人していくうちにもっと勉強したいと思うようになっていきました。
あとお笑いも美術も、そんなに変わらないんじゃないかって思うようになりました。

TAF:変わらない、ですか。

富田さん:どちらも自分のおもしろいと思うものをつくって、
人に見せることですよね。そのおもしろさの種類がお笑いの場合には声を出して、
お腹をかかえて笑うことで。美術はちょっと違うけど。
結局舞台に立つのが自分自身か作品かの差のような気がして。

予備校のときは当然受験をするために絵を描くわけですが、毎日朝起きて
自分のやることがあるということに、すごく救われました。予備校に通い始めた
当初は気持ちも少し病んでいたのですが、デッサンを1枚1枚描いているうちに
自分の中のもやもやしたものが。なんて言うのかな。こんがらがった糸を、
すごくゆっくり解いていくような感じがあったんですよね。

絵の内容がどうこうよりも、そのときの自分に毎日やるべきことを与えてくれるのが
予備校だったし、それがたまたま絵でした。

    

地元で制作する

富田さん:結局、学部は京都造形芸術大学に進みました。
東京芸大は大学院からです。大学院の校舎は上野だったので取手の実家から通っていました。

僕は周りの皆よりも大学に入るのが遅れていたので、通学のとき駅で同級生達が
スーツ着て通勤したりしてるのを見て、自分はなにやってるんだろうって思うわけです。
でももう、目の前のことをやるしかないじゃないですか。

10代のときに失った時間を取り戻すような感じなのかもしれないですね。
普通になりたいと思っていたから、普通以上に普通になる努力をするというか。
でも美術もマイノリティではあるから、結局普通からはそれたままかもしれないですけど。

TAF:それからはずっと取手で制作をしているんですね。

富田さん:大学院のために取手に帰ってきた頃に、
ちょうどスタジオ航大の立ち上げに誘われて。いいタイミングだと思って、
そのまま今もここで制作をさせてもらっています。本当は地元じゃない方がいいんですけど。
知らない土地の方が、武者修行してる感じがあるので。

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富田さん:この先の自分の状況次第では取手から
離れることもあるかもしれませんが今は取手で頑張ろうと思っています。
都心までのアクセスはいいし家賃は安い。車があれば画材も買いにいけるし、
アーティストは多いし。環境はいいですよ。知り合いに会わなければいいんですけどね。

TAF:知り合いに会うの、嫌なんですか。

富田さん:嫌じゃないんですけど、ちょっと集中力が途切れちゃうっていうか。
引き戻されちゃいますよね。本当に地元なのでスタジオの窓からも同級生達の家が
見えちゃうくらいの距離なんです。

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絵では負けたくない

富田さん:絵を制作することに集中できるのもあって画廊に所属しています。

自分がなにで負けたくないかって考えたとき、絵では負けたくないなって思ったんですよね。

TAF:けっこう戦っている感覚があるんですか。

富田さん:別に勝たなくていいんですが…自分が絵を描くことで先に進めたり、
新しい出会いがあったり。生かされているっていう感じがあって。
だからそれで負けるのは悔しいですね。

朝起きて、ちゃんとやることがあるっていう状況。それで人がいいねって言ってくれたり、
お金を出して買ってくれたりしたらそれは嬉しいことだし。いろんな人たちの協力があって
今があるので、頑張ろうって思います。

今はこれ負けないでしょうっていう作品をつくってみたいと思っています。お笑いも美術も、
注目されたりされなかったりの水物だし、この先も簡単にいくほど甘くないだろうと思います。
単に評価や流行だけでなく、まず自分自身が感動できる作品をつくれるように頑張りたい
と思っています。

(2017/2/1 編集:中嶋希実)

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