取手に暮らすアーティスト 001
取手には、たくさんのアーティストが暮らしていることをご存知でしょうか。
東京芸術大学がキャンパスを構えることもあり、多くのアーティストが取手に暮らし、
そして制作の拠点にしています。
なぜこの街で暮らし、制作を続けているのか。
彼らを訪ねて、話を聞いてみることにしました。
第1回は約10年前から取手を拠点に活動している傍嶋賢さんと浅野純人さん。
積極的に街に関わっている印象のある2人は、取手駅から徒歩5分ほどのビルで、
それぞれスタジオ「SOBASUTA」「あーと屋図工室」を構えています。
〈話し手〉
傍嶋 賢(そばじま けん)
1979年千葉生まれ。東京芸大大学院壁画第1研究室修了。展覧会やイベントを企画し、自らも壁画制作や作品も出品。2007年にSOBAJIMA STUDIOを設立。JR東日本、自治体、東京芸術大学との共同プロジェクトなど精力的に活動している。常磐線の待合室のデザインラッピング、荒川区の JR高架下の巨大壁画や、取手競輪場でのアートイベントの企画デザインを実施。プロジェクトの傍ら、自身の作品を展示販売する個展も開催。
浅野 純人(あさの すみと)
1979年福岡生まれ。多摩美術大学油画専攻卒業、東京芸大大学院壁画第1研究室修了。あーと屋図工室(こども・デッサン・水彩の各教室)主宰。チラシ・ロゴなどのデザイン、ワークショップやアートイベントの企画運営、壁画制作を行っている。埼玉県の中学・高等学校、東京都の専門学校で非常勤講師として美術を教える。
〈聞き手〉
取手アート不動産 スタッフ
制作しない大学院生活
取手アート不動産(以下、TAF):取手に来るきっかけを教えてください。
傍嶋さん:1999年に東京芸術大学の学部の油画科に入ったのが最初です。1年生はみんな取手に来るので。ちょうどその年は取手アートプロジェクトが立ち上がるタイミングで、なにかはじまる感がただよっていたのを覚えています。2年生から上野にいったけれど、大学院の研究室が取手だったので戻ってきました。浅野くんにはそこで出会ったんです。奇人変人ばかりの芸大生の中に、常識を持っている人がいる!って(笑)
浅野さん:中村政人さんの研究室で学ぶため、1期生として入学して。僕らは第1研究室。隣の第2研究室と一緒に取り組んだのが、常磐線の高架下の壁画でした。
傍嶋さん:1年目の夏にね。はじめて街に出て絵を描いたんです。最初は正直、めんどうだなと思ってたんですよ。でもそこでようやく世の中との接点を感じたというか。いざやってみるとボランティアの方や高校生とか、いい出会いがあるんですよね。浅野くんはそこでお嫁さん見つけたし(笑)
浅野さん:そういうことになるね。そこで会った人から話をもらって、デッサン教室をすることになったり。今でも付き合いが続いている人も少なくないんですよ。
傍嶋さん:壁画が終わったあと、中村政人先生からの「学生だけで何かしろ!」っていう命令で立ち上げたのが「第0研究室」という団体です。倉庫みたいなところをギャラリースペースに改装、イベントをしようっていうのが最初でした。
浅野さん:大学院に入って制作とかほとんどしてないんですよ。イベントを企画したり、プロジェクトの運営をしたり。DMをつくって広報することも自分たちでやったんです。
傍嶋さん:芸大生って制作はできても、それをうまいこと世の中とフィットさせるような企画が苦手な人が多いんです。振り返ると、それを勉強してた。卒業のとき「ようやく解放される!」って2人ともニコニコだったんだけど、結局今でも同じようなことやってるよね。
浅野さん:ほんとだね。でもあのときイラストレーターを使っていた経験がなかったら、今生きていけてないよね。
TAF:卒業後も、そのまま取手にいることにしたんですね。
浅野さん:運良く、高校の非常勤講師の募集を見つけたんです。それとご縁があって、取手駅前のビルをアトリエとして使わせてもらえることになって。ソバケン(傍嶋さん)と一緒にね。
傍嶋さん:ビルの前にある駄菓子屋を運営していたNPOの方々と仲良くさせてもらって。そこから駅周辺や街の活動につながっていきました。なんでもボランティアで手伝いながら少しずつ仕事をもらっていって、あとはアルバイトしたりして。僕は不安定型、浅野くんは安定型です(笑)
浅野さん:低い金額でもコツコツやり続けてお金をもらう術を身に着けていきました。お店のカードをつくるとか、当時すごい安い金額で受けていたんです。でも見直してみると、あのクオリティでよくお金をもらえてたなって。最近ようやくちゃんとしたものがつくれるようになってきました。
芳名帳は取手から
傍嶋さん:ファインアートとか芸術とは違う部分があるんです。頼まれる仕事は、どちらかというとデザイナーに近いものが多い。自分が主体ではないから「本当にやりたいことなんだろうか」と悩むこともありました。
浅野さん:自分の作品をつくっているわけではないから、依頼してくれる人の気持ちや集客効果なんかを意識しないといけない。俺がやりたいことやってるわけじゃないんだもんなって。
傍嶋さん:相手と自分、お互いの美意識を少しずつ合わせていけるようになってきたと思います。
たとえばポスターをつくるのにも、最初は向こうの要望を大きく反映する。でも毎年依頼をもらえるたびに、新しい提案をしていく。そうするとだんだん受け入れてもらえるようになるんです。むしろ向こうが前のめりになってきたり。相手だけではなくて、自分も変わってきているのかもしれないですけどね。
TAF:地域の中で、アートのマーケットを開拓しているような感覚なんでしょうか。
傍嶋さん:そうですね。最近はよく個展をやるようにしているんです。でも東京で展覧会をやっても、芳名帳にあるのは全部取手の人の名前なんですよ。アートに興味がなくても、傍嶋がやってるなら見に行こうって。
僕もともとは油絵科の絵描きですから。絵を描いてお金をもらって生活するっていうのが普通なんです。10年前だったらそんなこと思ってもらえなかったけれど、地域の中でファンや支えてくれる人ができてきたんです。
浅野さん:芸大を卒業しているってだけで絵もかければ彫刻も、なんでもできると思われるわけですよ。無理難題に応えてきた結果…まあ幸せではあるよね。
傍嶋さん:「こんな絵を描いてくれ」って、無理難題を言われることもありますよ。でも絵がほしい、と思う気持ちは嬉しいじゃないですか。日本人が素直に「絵がほしい」と思うタイミングやお金の価格帯みたいなことが、ここ数年の研究課題ではあるかもしれません。
浅野さん:僕はけっこう飽きっぽい性格なので、やったことのないオーダーがくると試してみたくなる。もちろん最初は大変なんだけど、今はけっこうなんでもできるような気がしてます。
新たな芸術家の生き方
傍嶋さん:10年間、少しずつ信頼を積み上げることを意識してきました。信用してもらっているから、ちゃんと事業としてお金がもらえる。街の中では、それでしか商売できないと思うんですよ。
浅野さん:学生は街に出てきても1、2年したらいなくなってしまう。傍嶋と浅野はずっといるっぽいぞ、って安心してもらってる。
傍嶋さん:僕らにとって取手は第2のふるさとになりました。コツコツと、地域で愛されながらお金をもらっていけるようになった。そういう生き方があってもいいかな、と思うんですよね。
20代の頃ボランティアでつながった人から仕事がうまれていったように、40代を乗り切るための種まきをしないといけないだろうなって。過去に引きずられてしまうこともあるけれど、新しい提案をし続けないと飽きられちゃうから。
美術界で認められたい、というよりもより確実な、身近なことや人。新たな芸術家の生き方を提案できるといいかなって。人生をかけて試しているところですね。
浅野さん:今まで教員と自分の作品、自分のプロジェクトで3本柱のバランスをとりながらやってきました。最近はそこに子育てが入ってきた。子どもから教えてもらうことって本当に多いんです。子ども向けの教室をやっているので、そこに対する考え方も変わってきました。
今は自分の制作の時間はほとんど皆無なんです。けれどフラストレーションも感じていない。10年くらいしたら、やろうかなってなるかもしれないけれど。あんまり自分でコントロールしようという意志がないんですよ。なるようになるんだろうなって。
傍嶋さん:浅野くんそういうところあるよね。川の流れに身を任せる葉っぱみたいな。運いいもんね。
浅野さん:そう、運はいいと思うよ。お陰さまで毎年やることが増えてます。
傍嶋さん:僕ら大きな賞をとったことがないんですよ。だからいい意味でプライドがないのかもしれませんね。コツコツしかできないってわかってるから。
生き様が多様な街
傍嶋さん:取手にはいろんな人が住んでいます。生き方が多様なので、芸術で生きている人の幅の広さを知れるのが、取手の良さかもしれませんね。
浅野さん:不動産屋の理解もあるし、シェアアトリエもある。はじめるにはいい場所ですよ。
傍嶋さん:いろんな人がそれぞれにおもしろいことをやったら、この街の独自性につながっていくんじゃないですか。すでに相当変ですよ、この街は。
浅野さん:アーティストが関わりすぎてて、変になってきたのかもね(笑)
傍嶋さん:街の人に免疫ができている。その分、比較されやすいっていうのはデメリットかもしれませんね。
最近は取手から出て常磐線沿線でも仕事をしているんです。そうすると、ほかの街が取手を参考にアートシーンをつくっていることがわかる。これまでいろんな人たちが蓄積してきた「取手イズム」は広げる価値があると思います。
浅野さん:まあ、楽しいところですよ。
(2016/11/2 編集:中嶋希実)